Karl-Hofner-portrait-1.jpgHofnerは、Anton Schallerにヴァイオリンの製作で弟子入りしていた Karl Hofnerによって立ち上げられ、1887年には最初のヴァイオリンを販売する。彼は、ヨーロッパにおける弦楽器製作の中心地であるSchonbachで、そのキャリアを始めるのだが、ドイツ・オーストリア・ハンガリー・ロシアや他のヨーロッパ諸国に、彼の高品質な楽器を販売することによって、その評判は瞬く間に広がることになる。

walter-hofner.jpg Karlには、JosefとWalterと云う二人の息子がいたが、第1次世界大戦後には、彼らを自分のビジネスの世界に入れ、彼らは輸入市場においてその能力を発揮する。このようにして、Hofnerはヨーロッパのみならず、ワールドワイドな弦楽器メーカーとして成長の道をたどるのである。


ヴィオラやチェロ、コントラバスなどの生産も加えたHofnerの生産ラインは順調に成長し、1930年代には、アーチトップギターの先駆者 "Schlaggitarren"として知られる、アーチドトップ・バックを持つ最初のギター生産を始める。そして、1930年代中頃には、30人のスタッフと300を超える下請け業者を持つ工場に成長する。


第2次世界大戦当時には、戦争による輸出規制が著しく厳しくなり、工場は軍隊のための木箱やブーツ底等の生産を行うなどして木工加工生産を続けることになるが、戦後、社会情勢は激変し、1945年夏頃までには、企業の国有化やドイツ語の規制などの厳しい管理下のもとに置かれることとなる。これにより、Hofnerファミリーは、西ドイツに移ることを決め、ほとんどゼロから、バイエルン州メーレンドルフにて新たな一歩を踏み出すのである。

ブベン.jpg当初のメーレンドルフでの環境は、理想からは大きくかけ離れていたが、生産を再開し安定した供給体制を早急に作り上げるべく、Hofnerは絶え間ない努力を続けていく。JosefとWalterは、新たな生産工場だけではなく、工場の作業員や工員が居住するための小さな町を造る構想を始めた。彼らは、熟考を重ねた結果、この先のHofnerの発展を予見する町としてブーベンロイトという小さな町を見つける。1949年10月20日には、建物の基礎工事に取り掛かりはじめ、1950年のクリスマスには新たなHofner工場が稼働を始めるのである。

bubenのコピー.jpg1950年代に入ると、Hofnerはその評判を取り戻し、再び世界向けの輸出を始め、各国のディストリビューターと確固たる関係を築くことに成功する。また、この時期に音楽シーンは劇的な変化を見せ、ギター生産の市場は急激に成長する。

Hofnerの代名詞とも云える「President」「Committee」そして「Violin Bass」の3つのモデルは、まさにこの時期に生まれる。

Hofnerの販売や生産はこの時期に安定を見せるが、この後に革命的に起こるカルチャームーヴメントは、この時の誰にも予見できなかったであろう...

Rock'n Rollの到来である

突然、エレクトリックギターへの需要は増加し、ブーベンロイトの工場では急激に生産を増強することになる。アメリカから渡ってきたRock'n Rollの到来は、ヨーロッパで1,000以上のビートバンドを生み、とりわけイギリスにおいて爆発的に火がつくことになったのである。

toni-kleir-2.jpg 1960年代初頭までには、Hofnerは今まで行っていたアーチトップギターの生産だけでなく、セミアコースティックギターやソリッドギター、またバリエーション豊かなベースモデルの生産にも着手し、その生産バリエーションを飛躍的に拡張していく。

hagenau-construct1964.jpgこのような急激な生産の増加は、乾燥などに大量の時間を要する塗装工程などを中心にして、ブーベンロイトの既存の工場設備とスペースを手狭な環境にとしていき、これらの事がきっかけで、この後いくつかの生産工程をブーベンロイトの近くにある町、現在もHofnerファクトリーの続く、ハーゲナウの街で分業する事になるのである。


hagenau vio.jpg1961年に一人の若者が、ハンブルグにある楽器店に立ち寄り、1本のViolin Bassを購入する。世界中の音楽を一変させた彼とそのグループに、もちろん説明はいらないであろう。そう、彼は50年以上にわたりViolin Bassを使用し続け、そのことによりこのモデルは世界中で一目でわかる楽器として、その存在を確立する事になる。


1961年のアメリカからイギリスへの輸入制限の緩和により、アメリカンギターがヨーロッパのギターマーケットに本格的に参入を始め、1965年から1970年にかけては、Hofnerの販売における落ち込みが加速的な状態になる。

この変化によって、Hofnerは生産の合理化を推し進め、オーケストラ楽器の生産に比重をおいていくことで、この難局を凌ぐようになるが、時を同じくして、Gerhilde HofnerとChristian Bankerは結婚し、共に経営の舵取りを行うことになる。
彼らが直面した1970年から1980年にかけて、日本や中国を中心とした廉価なアジア製ギターが台頭を始め、とりわけ入門用楽器のマーケットでは大きな打撃を受ける。

1994年1月、Hofnerは、いくつもの楽器生産を手掛けるイギリスの大型音楽企業「Boosey & Hawkes」に売却される。ここから9年の間、Hofnerは楽器生産を続けるが、その道のりは彼らにとって、決して幸せといえる時ではなかったのである。更なる生産の合理化に向けてさほどの時間はかからず、最も大きな転機として、ブーベンロイトの工場を閉鎖し、1997年には、近代化と拡張の進んだハーゲナウの新工場に生産を一元化する事となる。

2003年になると、Boosey & Hawkesは、Hofnerを含む楽器ビジネス部門の売却を決定し、The Music Group(TMG)というイギリスの投資グループに経営を委ねる。この体制は2~3ヶ月間だけ続くが、彼らは独立した企業としてHofnerのみの売却を決め、明くる2004年末、Klaus Schollerと彼の妻 Ulrike Schrimpffは、Hofnerを買収する。1995年からHofnerにおいてゼネラルマネージャーであったKlausと、財務ディレクターであったUlrikeは、Graham StockleyとRob Olsenも加えて、共同経営に乗り出す。

china.jpgその後の数年間から、Hofnerは積極的に海外生産に投資を始める。Beijing(北京)のブランチオフィスはHofnerの100%出資会社で、輸出ライセンスを含む中国官庁に正式に認可されたオフィスである。
Hofnerは、北京オフィスとドイツ本国での一定の人事異動や設備・機械投資などに膨大な努力を費やし、生産品質の向上に努める。今日、Hofnerブランドのステューデントモデルは北京で作られ、ハンドメイド性の強い上級機種は今でもハーゲナウ工場で製作されている。


RIMG0190.JPGHofnerは、世界の楽器製造とそのマーケットに明るい未来を想像し続けている。そして、125年もの間続いた長く険しい激動の歴史を歩みながら、品質とスタッフ、そしてHofnerを愛する世界中の顧客に向け、今日でも強い絆で結ばれたファミリー会社として、その営みを続けている。
現在エレクトリックギター開発責任者であるGraham Stockleyはこう言う.....「わたしたちは、滅多に新しいスタッフを雇わない。なぜなら、誰もここを去るようには思えないからね」。
景色のきれいなドイツの片田舎:ハーゲナウにあるHofnerの、温かなぬくもりを感じさせる素敵な台詞である。